あぶらな (油菜) 

学名  Brassica rapa var. oleifera
 (B.rapa var.chinoleifera, B.campestris,
B.campestris var.chinoleifera, B.campestris var.nippoleifera,
B.rapa var.campestris, B.rapa var.nippoleifera)
日本名  アブラナ
科名(日本名)  アブラナ科
  日本語別名  ナタネ(菜種; 在来菜種)、ナタネナ、アカタネ(赤種)、ククタチ(茎立)
漢名  油菜(ユサイ,yóucài)
科名(漢名)  十字花(ジュウジカ,shízìhuā)科
  漢語別名  菜薹(サイタイ,càitái)、胡菜(コサイ,húcài)、蕓薹(ウンタイ,yúntái)
英名  Chinese colza

2009/03/23 明治薬科大学薬草園
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 種子から菜種油を採るために栽培するナタネ(アブラナ)には、二種の植物がある。
和名 別名 漢名 英名 学名
アブラナ ナタネ(菜種; 在来菜種)、ナタネナ、アカタネ(赤種)、クキタチ(茎立) 油菜・菜薹 Chinese colza B. rapa
 (B. campestris)
セイヨウアブラナ ナタネ(菜種; 洋種菜種)、クロタネ(黒種) 歐洲油菜 Rape colza B. napus
 アブラナは、古くから東アジアで栽培してきたもの(在来菜種)、セイヨウアブラナは19世紀以降ヨーロッパから導入されたもの(洋種菜種)。
 在来種は、種子が黄褐色なので赤種と言い、洋種は黒褐色なので黒種と言う。在来種は葉が軟らかく淡緑色で、白い蝋質がなく、嫩茎嫩葉を食用にするので茎立と言う。洋種は、葉が厚く白い蝋質をかぶり、茎葉は食えない。
 アブラナ属 Brassica(蕓薹 yúntái 屬)の植物については、アブラナ属を見よ。
 和名アブラナは、油を採る菜の意。
 ナタネは、菜の種の意。ただし古い辞書類には、漢語の蕪菁子(ブセイシ,wújīngzĭ。
カブの種)・芥子(カイシ,jièzĭ。カラシナの種)などの訓に当てられているので、菜種は「油菜の種」とは限らず、一般に「菜の種」である。
 漢名蕓薹(ウンタイ,yúntái)について、李時珍は「此の菜、薹(タイ,tái)を起ち易し、須らく其の薹を採りて食うべし。則ち分枝必多、故に蕓薹(ウンタイ,yúntái)と名く。而して淮人、之を薹芥と謂う。卽ち今の油菜なり」という。なお、薹はとう、花芽である。
 今日の中国では、蕓(ウン,yún)の簡化字として芸(ウン,yún)を用いる。
 『本草和名』芸薹(ウンタイ,yúntái)に、「和名乎知」と。
 『倭名類聚抄』に、芸薹は「和名乎知」と、また「唐韻云、■
{艸冠に豊}、〔和名久々太知、俗用茎立二字〕。蔓菁苗也」と。
 『大和本草』油菜{アブラナ}に、「蕓薹トモ云。・・・蔓菁ト一類別種也。・・・民俗油菜ノ子{ミ}ヲモカラシト名ツク、芥子ニハアラス」と。
 野生種のアブラナは、もともとは地中海農耕文化におけるムギ畑の雑草。今日でも西南アジアから北ヨーロッパに、麦畑の雑草として分布するという。今日における雑草としての姿は、『週刊朝日百科 植物の世界』6-199参照。
 雑草性アブラナは、チベットからオオムギ農業の雑草として中国に入り、ここで品種分化が進んだ。
 中国では、漢代から栽培している。
 日本に入ったのは弥生時代、と言う。
 中国でも日本でも、古くは蔬菜として葉を食用にした。
 種子から菜種油(菜子油,サイシユ,càizĭyóu)を絞るようになるのは遅く、盛んになったのは中国では明代以降、日本では江戸時代から。それ以前は、エゴマの油などを用いていた。
 中国では、その嫩い莖葉を蕓薹(ウンタイ,yúntái)と呼び、種子を蕓薹子(ウンタイシ,yúntáizĭ)と呼び、薬用にする。 『(修訂) 中葯志』III/362-364 『全国中草葯匯編』下/293
 日本薬局方で規定するナタネ油は、B.campestris subsp. napus var. nippo-oleifera の種子から得た油と規定する。
 中国では、賈思勰『斉民要術』(530-550)に「種蜀芥・蕓薹・芥子」が載る。
 日本では、『古事記』に 吉備の国の「山縣に蒔ける菘菜(あおな)」と見えるものや、『万葉集』に「上野野の佐野のくくたち(茎立)」と見えるものは、アブラナという。

   かみつけぬ
(上毛野)佐野のくくたち(茎立)(折)りはや(栄)
     あれ
(吾)はま(待)たむゑことし(今年)(来)ずとも (14/3406,読み人知らず)
 
 平安時代には、『竹取物語』に翁の言葉として「竹の中より見つけきこえたりしかど、なたね(菜種)のおほ(大)きさおはせしを、わがたけ(丈)たちならぶまで やしな(養)ひたてまつりたる我子を、云々」とある。
 江戸時代には、油料のほか、変った用途として七味唐辛子に入れられた。

   菜畠に花見顔なる雀哉 
(芭蕉,1644-1694)

   菜の花や月は東に日は西に
(蕪村,1716-1783)
   なのはなや昼ひとしきり海の音 
(同)
   菜の花や鯨もよらず海暮れぬ 
(同)
   菜の花や和泉河内へ小商 
(同)
   なのはなや笋
(たけのこ)見ゆる小風呂敷 (同)
   菜の花や摩耶を下れば日のくるゝ 
(同)
 
 明治以降 油菜としての役割は ほとんどセイヨウアブラナにとって代られた。今日では、在来のアブラナは、京野菜(菜の花漬けやくくだち)として細々と残っているのみという。
 したがって、明治以降の詩歌に詠われる菜の花は、セイヨウアブラナであると考えて間違いない、という。



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