きうり (黄瓜・胡瓜) 

学名  Cucumis sativus
日本名  キュウリ
科名(日本名)  ウリ科
  日本語別名  キウリ、ソバウリ
漢名  黃瓜(コウカ,huángguā)
科名(漢名)  葫蘆(コロ,húlu)科
  漢語別名  胡瓜(コカ,húguā)、王瓜(オウカ,wángguā)、靑瓜
英名  Cucumber
2005/07/11   三芳町竹間沢

2006/07/10 三好町竹間沢 
 雄花   雌花 

2005/08/23 三芳町竹間沢

 キュウリ属 Cucumis(黃瓜 huángguā 屬)には、旧世界の熱帯・亜熱帯に約40-60種がある。

  ニシインドコキュウリ C. anguria(C.longipes; E.Gherkins, West Indian gherkin,
         Bur gherkin)

  C. hystrix(野黃瓜・老鼠瓜・鳥苦瓜・酸黃瓜)
雲南・ミャンマー・アッサム産 
  メロン C. melo(C.bisexualis; 甜瓜)
        
古代エジプト・ギリシア・ローマ時代から栽培。40以上の変種がある。
  キュウリ(標準) C. sativus(C.esculentus; 黃瓜)
    キュウリ var. tuberculatus
    ヤセイキュウリ
var.hardwickii(C.hardwickii;野生黃瓜・西南野黃瓜)
        
広西・貴州・雲南・ヒマラヤ南麓に産、キュウリの原種
   
 ウリ科 Cucurbitaceae(葫蘆科)については、ウリ科を見よ。
 漢名を単に瓜(カ,guā)というもの、和名を単にうりというものについては、マクワを見よ。
 キュウリの漢名は、漢代以来胡瓜(コカ,húguā)、後に黃瓜(コウカ,huángguā)と改む。胡というのは、西方から入ってきたことから、黃というのは果が黄熟することから。
 改名の理由について二説があり、一説に石勒
(274-333)の諱を避けて改むといい(陳蔵器『本草拾遺』)、一説に隋・大業4年(608)諱を避けて黃瓜と改むという(李時珍『本草綱目』引 杜宝『拾遺録』)
 和名は、漢名黄瓜の訓「きうり」。
 深江輔仁『本草和名』(ca.918)胡瓜に、「和名加良宇利」と。
 源順『倭名類聚抄』
(ca.934)に、黄瓜は「和名木宇利」、胡瓜は「和名曽波宇里、俗云木宇利」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1806)24胡瓜に、「ソバウリ
和名鈔 キウリ同上」と。
 インドのヒマラヤ地方山麓に野生するヤセイキュウリ var. hardwickii (C.hardwickii)から改良した栽培種。 インドでは、約3000年前に栽培。
 雌雄異花同株。
 「果菜類の野生原種はほとんどこのような苦味などがあって、それがないように改良されてきたものである。たとえばキウリの野生種は低ヒマラヤにたくさん生えており、ニワトリの卵くらいの大きさの果実をつける。その未熟果を食べてみると、げんざいの改良されたキウリでもすこし残っている苦味が、ものすごいほど強くて、とても食べられない。」(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』1966、岩波新書)
 西方には、B.C.3c.-B.C.2c.にローマに入り、皇帝ティベリウス(在位14-37)はこれを好んだ。
 フランスには9世紀に、イギリスには14世紀に入る。
 これら西方に伝わったものには、表面にイボがない。
 中国では、李時珍『本草綱目』によれば、いわゆる張騫もの。つまり、前漢・武帝(B.C.140-B.C.87)のとき、西域に使いした張騫が西方から持ち帰ったものの一という。この系統から、「華北キュウリ(夏型キュウリ)」品種群が成立。
 一方、ヒマラヤからネパール・ビルマを経て華南に入った系統からは、「華南キュウリ
(春型キュウリ)」品種群が成立した。
 これら東方に伝わったものは、表面にイボが多い。
 日本には、奈良時代以前に華南キュウリが入った。平城京跡から種子が出土している。
 蔬菜として一般に用いるようになるのは、江戸時代後期になって華北キュウリが入り、品種改良が進んでから。
 明治時代以降 ガラスフレームの普及に伴って夏野菜として広まり、第二次世界大戦後 ビニールハウスの普及とともに通年野菜として普及した。
 日本では、古くは黄熟したものを食用にした。
 「是下品の瓜にて賞翫ならずといへども、諸瓜に先立ちて早く出来るゆへ、いなかに多く作る物なり。都にはまれなり。」(宮崎安貞『農業全書』1697)
 江戸では、キュウリの初成りを天王様(牛頭(ごづ)天王)に供えるとて川に流した。キュウリを芯にした海苔巻を河童巻と言うのは、ここから。(異説もあり。)
 
   ものさびしき世相
(よさま)にありてはきけやし胡瓜噛む音わが身よりする
     
(1941「九月六日陰暦七月十五日満月」,齋藤茂吉『霜』)
   朝な朝な胡瓜畑を楽しみに見にくるわれの髯のびて白し
     
(1946,齋藤茂吉『白き山』) 
 
 『旧約聖書』「民数記」11によると、モーゼに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの人々は、シナイの荒野にあって次のように不満を言った、「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」と。
 Who shall give us flesh to eat?
 We remember the fish, which we did eat en Egypt freely; the cucumbers, and the melons, and the leeks, and the onions, and the garlic:
 But now our soul is dried away: there is nothing at all, besides this manna, before our eyes.
           (NUMBERS 11,King James Version)


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