平林寺
2005/04/17 (半僧坊大祭の日) |
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総門 |
仏殿 |
もと岩槻にあり、岩槻城主大田氏(太田道灌(1432-1486)の一族)の創建と伝えられる。
江戸時代に入り、川越藩主松平信綱(1596-1662)は、これを領内に移すことを宿願としたが果さず。その子輝綱は、寛文3年(1663)願い出て平林寺を現在の地に移し、松平家代々の菩提寺とした。 |
松平信綱の墓 |
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ここは武蔵野の真ん中。
松平信綱によって明暦元年(1655)「野火止用水」(「玉川上水」支流)が引かれるまでは、このあたりはたまに野火を入れられるだけの、人気の少ないススキが原であった。 |
(平林寺も、「野火止用水」の支流「平林寺堀」に水を頼っていた。) |
野火止用水 |
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伊豆殿堀(野火止用水本流) |
平林寺堀 |
「野火止用水」が引かれると、この地に野火止新田が開かれ、里山としての雑木林が形成された。いわゆる武蔵野の雑木林である。
広大な平林寺の境内には、かつての雑木林の面影がよく残されているので、昭和43年(1968)5月28日、「平林寺境内林」として国の天然記念物(平林寺境内を中心とする56ha)に指定された。 |
この林は、日本の代表的な二次林であるコナラ・アカマツ・エゴノキ・クヌギ・クリ・イヌシデ・モウソウチクなどからなっている。 |
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