あづさ (梓・楸) 

 いにしえに梓弓の素材とされ、「あづさ」と呼ばれた木については、「古来キササゲアカメガシワ・オノオレ・リンボク(ヒイラギガシ)などの諸説があり一定しなかった。ところが白井光太郎がカバノキ科のヨグソミネバリ(ミズメ)説を唱え、正倉院の梓弓についての顕微鏡的調査の結果からも実証され、現在これが定説になっている。このほか、アサダナナカマドニシキギなどにもアズサの方言がある」(平凡社『世界大百科事典』)
 あづさは、現代仮名遣いではあずさ
 「あづさハ其語源不明確説無シ」(『牧野日本植物圖鑑』)。語源諸説については『日本国語大辞典 第二版』「あずさ」項を見よ。
 『本草和名』梓に、「和名阿都佐乃岐」と。
 『倭名類聚抄』梓に「和名阿豆佐」と。
 漢土では、『説文解字』に「梓(zĭ,シ)は、楸(qiū,シュウ)なり」とあり、梓・楸は「以爲一物、誤矣」(『爾雅』)だが、「大類同而小別」(『埤雅』)であった。
 梓は、さまざまな建築・器具を作る建材・木材であり、農家には養蚕に必要な桑(ソウ,sāng)とともに必ず植えられた木であった。従って、桑梓・梓里は故郷を意味し、梓匠・梓人は大工・木工職人を意味した。また梓をもって琴を作り、棺を作るなどした。
 楸のほうは、もって棊盤を作った。
 今日の漢語では、梓(zĭ,シ)はキササゲ Catalpa ovata を指し、楸(qiū,シュウ)はトウキササゲ Catalpa bungei を指す。 
 
 むかし日本ではあづさ(梓)の木で作った弓をあづさ弓(梓弓)と呼んだ。
 『万葉集』に詠われた歌は、文藝譜を見よ。代表的なものは、

   やすみしし わご大君
(舒明天皇,在位629-641)
   朝
(あした)には とり撫でたまひ 夕(ゆふべ)には い倚り立たしし
   御執
(みと)らしの 梓の弓の 金弭(かなはず)の 音すなり
   朝猟
(あさかり)に 今立たすらし 夕猟(ゆふかり)に 今立たすらし
   御執らしの 梓の弓の 金弭の 音すなり
(巻1/3)

    ・・・ 梓弓 手にとりもちて 剣大刀 こし(腰)にと(取)りは(佩)き 
   あさ
(朝)まも(守)り ゆふ(夕)のまもりに 大王の み門のまもり
   われ
(吾)をおきて ひと(人)はあらじと ・・・ (18/4094,大伴家持)

   ・・・ 梓弓 八つたばさみ ひめかぶら(鏑) 八つたばさみ
   しし
(鹿)待つと 吾が居る時に ・・・ (16/3885,読人知らず)
 
 「梓弓」の語は、そのものの名としてのほかに、い・いる・ひく・はる・もと・すえ・つる・よる・かえる・や・音などにかかる枕詞。また「玉梓(たまずさ)の」は「使い」にかかる枕詞。ともに『万葉集』に多くの用例がある。文藝譜を見よ。
 平安時代以降、あづさという植物そのものが歌に詠われることはほとんど無く、多くは「梓弓」の形で枕詞として用いられた。

   梓弓 をして春雨 けふふりぬ あすさへふらば 若菜つみてむ
     
(読人しらず。『古今集』)
   梓弓 春の山辺を こえくれば 道もさりあへず 花ぞちりける
     
(紀貫之「しがの山ごえに女のおほくあへりけるによみてつかはしける」、『古今集』)
   梓弓 春たちしより 年月の いるがごとくも おもほゆるかな
     
(凡河内躬恒「はるのとくすぐるをよめる」、『古今集』)
   梓弓 ひけばもとすゑ 我方に よるこそまされ こひの心は
 (春道列樹、『古今集』)
   梓弓 ひきののつゞら すゑつゐに わがおもふ人に ことのしげけん
     
 (よみ人しらず、『古今集』)
 

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