かしわ (柏) 

学名  Quercus dentata (Q.obovata)
日本名  カシワ
科名(日本名)  ブナ科
  日本語別名  カシハ、カシワギ(カシワノキ)、モチガシワ、オオボウソ
漢名  槲樹(コクジュ,húshù)
科名(漢名)  殻斗(カクト,qiàodŏu)科
  漢語別名  朴樕(ボクソク,pusu)、柞櫟(サクレキ,zuoli)、橡樹(ショウジュ,xiangshu)、靑棡(セイコウ,qinggang)
英名  Daimyo oak



 

2007/04/15 神代植物公園
2025/04/17 同上 

2007/04/10 小石川植物園

2007/05/12 神代植物公園

2006/07/31 三芳町竹間沢 (庭木として)

2024/08/09 茅野市北山 

2006/10/26 長野県 霧が峰

2023/12/02 神代植物公園 

2006/10/19 神代植物公園 2006/12/07 同左

2007/02/15 八王子市裏高尾町

 コナラ属 Quercus(櫟 lì 屬) コナラ亜属 subgen. Quercus(櫟 lì 亞屬)の植物については、Quercus を参照。
 『言海』に、「かしは(葉) 〔炊葉(カシギハ)ノ約カ、古ヘ、食物、皆、葉ニ盛レリ〕 木ノ葉」と、
 続いて「かしは(柏) 〔前條ノ語ノ轉、食物ヲ、多クハ、此ノ樹ノ葉ニ盛リタレバ、其名ヲ專ラニセシナラム〕 (一)喬木ノ名、・・・古名ははそ。俗ニ轉ジテはうそ。」と、
 また「かしはで 〔柏手(カシハデ)ノ義、古ヘ葉椀(クボテ)葉盤(ヒラテ)ナド、柏ノ葉ヲ食器トセルニ起ル〕 (一)飮食ノ饗膳。 (二)饗膳(カシハデ)ノ事ヲ掌ル人」と。
 牧野は、「和名かしはハ炊卽チかしト葉卽チはトノ合セシ者ニシテ畢竟食物ヲ盛ル葉ノ意ナリ、往時ハ斯ノ如キ種々ノ葉ヲ同ジクかしはト稱セシト雖モ今日ニテハ本種獨リ其名ヲ專有セリ、餅がしはハ其葉ニ餅ヲ裹メバ云フ」(『牧野日本植物圖鑑』)。
 本山荻舟『飲食事典』には、「カシワはカシキ葉またはコシキ葉の略で、往昔米を炊ぐにあたり、蒸籠(セイロウ)またはコシキの下敷にした広葉の意味」とある。
 本種カシワのほかに、コナラコノテガシワホオガシワアカメガシワなどが用いられた。
 漢名の槲(コク,hú)は、実が斛(ます,コク,hú)型をしているところから。
 日本で柏(ハク,bò・băi)の字をカシワと読むのは誤り。漢字柏(ハク,bò・băi)の義は、コノテガシワなどヒノキ科の常緑樹。
 また日本で、檞(カイ,jiě・xiè)の字をかしわと読むのは、槲(コク,hú)と字形が似ていることからきた誤読。檞(カイ,jiě・xiè)の義は松脂
(まつやに)
 『本草和名』槲に、「和名加之波岐、一名久奴岐」と。
 『倭名類聚抄』槲に、「和名加之波」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』槲実に、「ハゝソノミ ハゝソ
今ホウソト呼、以下木ノ名 ナラ ホソ和州 ホウ同上 ホウソガシハ カシハ モチガシハ カシハギ佐州 マキ雲州 ゴウコウシバ備前」と。
 北海道・本州・四国・九州・朝鮮・臺灣・浙江・江蘇・安徽・兩湖・四川・貴州・雲南・陝甘・華北・遼寧・吉林・黑龍江・モンゴリア・極東ロシアに分布。
 「カシワはブナ科の落葉樹であるが、同じ科のミズナラ・コナラ・ブナなどと違い、その分布域は比較的限られている。・・・
 本州の内陸部の産地にもカシワ林の散生が見られる。たとえば関東地方では、榛名山や赤城山、東京近郊の高尾山系などの尾根すじに残っている。
 カシワは樹皮が厚く、火にかかっても回復力が強い。山火事のあとにはカシワが増える傾向もある。・・・
 以上と同じ理由から、草原中にカシワの交ることもある。富士山の裾野や阿蘇の草原などにその例が見られる。」(沼田真・岩瀬徹『図説 日本の植生』1975)
 中国では、墓地・寺廟・公園などに植えられる。木材は硬く持ちがよいので、建築のほか車船・器具などを作るのに用いる。また、古来その葉を養蚕に用いる。
 日本では、大きな葉を食器として用いる。
 また、枯葉が冬になっても落葉しないのは この木に葉守りの神がいるからだと考えて神聖視し、祭祀にもカシワの葉を用い、また縁起物として庭先に植えられた。
 『伊勢物語』第87段参照。
 かしわもち(柏餅)は、『守貞漫稿』に、「米の粉を練りて圓形、扁平となし、二つ折となし、間に砂糖入赤豆餡を挾み、柏葉大なるは一枚を二つ折にしてこれを包み、小なるは二枚を以て包み蒸す、江戸にては砂糖入味噌をも餡に代え交ぜるなり、赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裏を出して標とす」と(本山荻舟『飲食事典』引)。
 旧暦五月五日端午の節句に作られる節供餅は、嘗てはちまき(粽)であった。17c.頃から柏餅も用いられるようになり、もっぱら柏餅が用いられるようになったのは18c.からだという。
 なお、西南日本にはカシワが少ないので、サルトリイバラの葉を代用することが多い。
         
(以上、本山荻舟『飲食事典』)
 『日本書紀』巻7景行天皇12年10月の条に、「天皇(すめらみこと)、初め、賊(あた)を討たむとして、柏峡(かしはを)の大野に次(やど)りませり。其の野に石有り。長さ六尺(むさか)、広さ三尺(みさか)、厚さ一尺五寸(ひとさかあまりいつき)。天皇祈(うけ)ひて曰(のたま)はく、「朕(われ)、土蜘蛛(つちぐも)を滅すこと得むとならば、将に玆(こ)の石を蹶(く)ゑむに、柏の葉(ひらで)の如くして挙れ」とのたまふ。因りて蹶(ふ)みたまふ。則ち柏の葉の如くして大虚(おほぞら)に上りぬ。故、其の石を号(なづ)けて、踏石(ほみし)と曰(い)ふ」とある。
 
『豊後国風土記』直入郡に柏原の郷があり、「昔者、此の郷に柏の樹多に生ひたりき。因りて柏原の郷といふ」とあり、その郷の中に蹶石野(くゑいしの)があるとして、上の『日本書紀』とほぼ同様の記事を載せる。
 『万葉集』に、

   いなみ
(稲見)野の あからがしは(柏)は とき(時)はあれど
     きみ
(君)をあ(吾)がも(思)ふ とき(時)はさね(実)なし (20/4301,読人知らず)
   秋柏 潤和
(うるわ)川辺の 細竹(しの)の め(芽)の人にはあ(逢)はね きみ(君)にあへなく
      
(11/2478,読人知らず。秋柏は、うるわにかかる枕詞)
   朝柏 閏八(うるは)河辺の 小竹(しの)の め(芽)の思
(しの)ひて宿(ぬ)れば夢に見えけり
      
(11/2754,読人知らず)
 
 王朝時代には、

   礒神 ふるからをのの もとかしは 本の心は わすられなくに
     
 (よみ人しらず、『古今和歌集』)
   玉柏茂りにけりな五月雨に葉もりの神のしめはふるまで (新古今集・藤原基俊)
   ならの葉の葉守の神のましけるを知らでぞ折りしたたりなさるな
(後撰集)
   柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢か
(源氏物語・柏木)
   ねやの上にかた枝さしおほひそともなる葉ひろ柏に霰ふるなり (新古今集・能因)
   時しもあれ冬ははもりの神な月まばらになりぬ杜の柏木
(新古今集・法眼慶算)

 清少納言『枕草子』第40段「花の木ならぬは」に、「かしは木、いとをかし。葉もりの神のいますらんもかしこし。兵衛のかみ(督)・すけ(佐)・ぞう(尉)などいふ(柏木は衛府の官の異名)もをかし」と。

 西行
(1118-1190)『山家集』に、

   はな
(花)のをり(折) かしはにつつむ しなのなし(信濃梨)
     ひとつなれども ありのみと見ゆ
       
(「れいならぬ人の大事なりけるが、四月になしのはなのつきたりけるを見て、
        
なしのほしきよしをねがひけるに、もしやと人にたづねければ、
        
かれたるかしはにつゝみたるなしをたゞひとつつかはして、
        
こればかりなど申たりける」。45句は 異本あり)
 

   柏木のひろ葉見するや遅桜 
(蕪村,1716-1783)
 

   楠樹の若葉仄かに香(か)ににほひ、
   葉びろ柏は手だゆげに、風に搖
(ゆら)ゆる初夏(はつなつ)を、・・・
     
薄田泣菫「望郷の歌」(『白羊宮』)より

   ひとときに春のかがやくみちのくの葉広柏
(はびろがしは)は見とも飽かめや
     
(1946,齋藤茂吉『白き山』) 
 



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