辨 |
イネ Oryza sativa には、熱帯型の長粒種と 温帯型の短粒種があり、
前者をインディカ種 subsp. indica(秈,セン,xiān)、
後者をジャポニカ種 subsp. japonica(粳,コウ,jīng)
と呼んで区別する。 |
コメに含まれる澱粉質の成分の違いから、粘り気の強いモチ種(糯,ダ,nuò)と、普通のウルチ種(粳,コウ,jīng)を区別する。 |
中国には、色のついた米として紫米(zĭmĭ)・紅米(hóngmĭ)などがあり、また香りのついた米として香粳(xiāngjīng)がある。 |
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イネ属 Oryza(稻 dào 屬)には、世界の熱帯に19-24種がある。
アフリカイネ O. glaberrima(光稃稻) 栽培イネ2種の内の1、熱帯アフリカ西部産
O. meyeniana(疣粒野生稻) 熱帯&亜熱帯アジア産
ヤセノイネ subsp. granulata(O.granulata)
ムラサキヒメノイネ O. officinalis(藥用稻) 兩廣・雲南・熱帯アジア・濠洲北部産
ヒゲナガノイネ O. rufipogon(O.nivara;野生稻) イネの祖先、
臺灣・兩廣・雲南・熱帯&亜熱帯アジア・濠洲北部産
イネ(アジアイネ) O. sativa(O.sativa var.terrestis;稻)
漢土起源の栽培種 栽培イネ2種の内の1 野生種を O.perennis とすることがある
モチイネ Glutinosa group
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イネ科 Poaceae(Gramineae;禾本 héběn 科)については、イネ科を見よ。 |
訓 |
中国において古来穀物を表してきたさまざまなことば(文字)については、五穀を見よ。
そのうち、穀(コク,gŭ)・禾(カ,hé)は、古く雑穀が山地で混栽されていた時代には、穀類の総称であった。穀は「堅い殻に包まれた穀物の実」の意、禾は「穂を垂れた穀物(ことにはアワ)の株」の象形文字。また粟(ゾク,sù)も「ぱらぱらとした小さな穀物の実」の意。
後に農業が発展して単作農耕へと移行すると、北方の粟作地帯ではアワを表す文字として穀・禾・粟が、南方の稲作地帯ではイネを表す文字として穀・禾が用いられた。 |
漢語の稻(トウ,dào)は、もとは「米を搗きおえて臼から取り出す(あるいは臼の中でこねる)」意。金文に見える。 |
また水稲は、ベトナム語の chiem(沼)という語を音写して、占(秥)zhān,zhàn・秈(籼)xiān・稉(秔・粳)jīng などと呼んだ。
〔のち、秈(セン,xiān)は 福建を経由して入ったチャンパ(占城)産の米を指すようになり、今日では南方産のインディカ種を指す。〕 |
米(ベイ,mĭ)は「穀物の小さい粒粒」を表す象形文字、一般に脱穀した穀物を指す。 |
『本草綱目』に、「稻(トウ,dào)・稌(ト,tú)は、秔(コウ,jīng。粳と同字)と糯(ダ,nuò)の通稱。・・・。本草は則ち專ら糯を指して以て稻と爲す。稻は舀(ヨウ,yăo)に從う、・・・人の臼の上に稻を治するの義を象る。稌は則ち方言にして、稻音の轉なるのみ。其の性、黏にして軟、故に之を糯と謂う」、「黏る者は糯と爲し、黏らざる者は粳と爲す。糯は懦なり、粳ハ硬なり」と。
『大和本草』はこれを解説して、「稻、・・・不レ粘者ヲ粳{カウ}ト云又秔ト云、倭名ウルシ子」「稻ハ粳{ウルシ}糯{モチ}ヲスヘテ云、然トモ本艸ニハ稻{タウ}ヲ糯トス。論語曰食二夫稻一稻モ糯也。」と言う。なお、秈{タイトウコメ}は「近世異國ヨリ來ル故國俗ニ大唐米ト云、西土ノ俗タウボシト云」と。 |
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『本草和名』に、粳米は「和名宇留之祢」、稲米・稌米は「和名多々与祢」、陳廩米は「和名布留岐与祢」、孼米は「和名毛也之」と。
『倭名類聚抄』に、稲(イ子)は「今案、稲熟有早晩取其名。和名、早稲、和勢。晩稲、於久天」、芒は「和名乃木」、穂は「和名保」と。また米は「和名与禰」、秔米は「和名宇流之禰」、糯は「毛知与禰」などと。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』に、「稻 モチノヨネ和名鈔 モチヨネ モチゴメ」、「粳 ウルシネ和名鈔 ウルゴメウルノコメ ウルチ江戸、「秈 タイトウゴメ トウボシ筑前 トウボウシ加州釈名」と。 |
『言海』「いね」に、「〔飯根(イヒネ)ノ略カ〕」と。
牧野は、「和名いねハいひね(飯根)ノ約言なりと謂フ」と(『牧野日本植物圖鑑』)。
なお諸々の語源説について『日本国語大辞典 第二版』を参照。 |
畑地に栽培するイネを「おかぼ(陸穂)・おかしね(陸稲)」という。収穫量は水稲の約半分。 |
こめ(米)・よね・しねは、イネの種子、実。漢名は米(ベイ,mĭ)・大米(タイベイ,dàmĭ)。 古名は「しね」だが、死ねに通ずるとして忌み、「よね」と言い換えたともいう。「こめ」は小實(コミ)の轉かと云う、と(『言海』)。
籾摺りのまま精白しないコメをげんまい(玄米)・くろごめ(黒米)・あらしね(荒稲)といい、精白したものをはくまい(白米)・しらげよね(精げ米)・にぎしね(和稲)という。玄米の漢名は糙米(ソウベイ,cāomĭ)、白米は白米(ハクベイ,báimĭ)。
精白に際して生じる、果皮・種皮・外胚乳などの混った粉を、ぬか(糠)・こぬか(小糠・米糠)という。漢名は糠(コウ,kāng)。 |
英名の rice・ラテン名の oryza などは、皆 サンスクリット語のヴリーヒ vrīhi に起源する。
一説に、日本語のウルチも同源とする。 |
説 |
コムギ・トウモロコシとともに世界三大穀物の一。 |
イネ(アジアイネ)は栽培種であり、世界の熱帯・亜熱帯地方に20種以上が自生しているイネ属 Oryza の野生種のうちの O. perennis から作られたという。
旧来、原産地は四千年前のインド・アッサムから雲南地方と考えられてきたが、近年では一万年ほど前の長江中下流域(湖南から江南)とする説が行われている。 |
今日の中国では、淮河以南・四川以東の主作物、かつ主食。
〔なお、華北(淮河以北・陝甘以東)の主作物・主食はコムギ。〕 |
日本には縄文時代晩期に中国から入り、弥生時代には高度の水田稲作が営まれた。 |
多くの品種がある。
澱粉の質により、モチ種(糯米)とウルチ種(粳米・うるしね)に大別され、それぞれに早稲(ワセ)・中稲(ナカテ)・晩稲(オクテ)がある。また栽培形態により水稲・陸稲がある。
産地による変異や改良があり、各地に銘柄米がある。また外国産のものとして、チャンパ(占城)米・大唐米などの名がある。 |
誌 |
薬用には、中国では熟した穎果の発芽したものを穀芽(コクガ,gŭyá)・稻芽と呼び、薬用にする。『中薬志Ⅱ』pp.162-166 『(修訂) 中葯志』III/409-410 『全国中草葯匯編』下/338-339
日本では、生薬コウベイ(粳米)は イネの果実である(第十八改正日本薬局方)。 |
中国古代のイネについては、五穀を見よ。
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『礼記』「月令」九月に、「天子乃ち犬を以て稲を嘗む。先づ寝廟に薦む」と。
同十一月には、「大酋(酒造りの長)に命じて、秫稲(じゅつたう。もちごめ)必ず斉(ととの)へ、麹糵(きくげつ。こうじ)必ず時にし、湛熾(せんし)必ず潔くし、水泉必ず香(かうば)しくし、陶器必ず良くし、火斉必ず得しむ。兼ねて六物を用ふるや、大酋之を監して、差貸(さじ)すること有る毋からしむ」と。
『詩経』国風・豳風「七月」に、「十月は稲を穫る」と。 |
『礼記』「内則」に、犬の肉の羹(あつもの)や 兔の肉の羹には、コメの粉を溶いて餡かけにすると。おじやの一種か。 |
歴代、さまざまに絵画化されている。
○ 元・作者不詳「稲穂図」(日本/個人蔵)
○ 元・作者不詳「嘉禾図」軸(臺北/國立故宮博物院蔵) |
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日本では、 ウルチ米は、飯・粥・雑炊などにして食い、また日本酒醸造の原料などとして用いる。
モチ米は、餅・強飯(こわめし)・糒(ほしい)・飴(あめ)など、また菓子材料に用いる。
粉にして団子・菓子などを作る場合はウルチ・モチを併用することもある。
(本山荻舟『飲食事典』)。 |
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もち(餅)は、「もちひノ略、餠米ヲ蒸シテ搗キ潰シタルモノ、煮又ハ乾シテ燒キテ食フ」(『言海』)。女房詞でかちんというのは、搗飯(カチイヒ)の音便という。
搗きたての餅を臼取りして、卸したての大根卸しに生醤油を落した中へちぎりこむものをからみ(辛味)餠といい、小豆餡の中に転がすものを牡丹餅・小豆餅・アンコロ餅といい、黄粉をまぶしたものをきなこ(黄粉)餅という。ごま(胡麻)餅は、摺り胡麻に砂糖を和してまぶしたもの。 |
しとぎ(粢)は、『言海』に「〔白淅(シロトギ)ノ略かと云〕米粉ニテ作レル餅ノ名、神前ニ供フ。形、鷄卵ノ長キガ如シ」と。
『飲食事典』に、「上古は米の粉を浄水でこねて団子にしたのを供えたというが、・・・後世は糯米を蒸して少し搗いたのを楕円形の餅に整えて供えた。また略して洗米をそのままそなえるのをもシトギといった」と。 |
かがみもち(鏡餅)は、「餠ヲ圓ク扁(ヒラタ)ク鏡ノ如クニ作リタルモノ、神ニ供ヘ或ハ吉禮ノ用トス」、「武家ニテ、正月、鏡餠ヲ具足ニ供フ、(婦人ハ鏡臺ニ供フ)、コレヲ具足餠トイフ、二十日(ハツカ)(刃柄(ハツカ)ヲ祝フ、婦人ハ初顏(ハツカホ)ニ寄スト云)ニ至リテ、其餠ヲ切リテ食フ、コレヲ鏡開トイフ(切ルトイフヲ忌ミテ開クトイフ)承應元年ヨリ改メテ十一日ノ式トスト云」、「ひしもち(菱餠) 菱形ニ切リタル餠、鏡餠ニ載ス」と(『言海』)。
かきもち(缺餅・掻餅)とは、「(一)正月、具足餠ヲ、槌ニテ碎キ、手ニテ缺キタルモノ。(切ルヲ忌ミテナリ) (二)後ニ、餠を扁ク長ク作リテ、刃物ニテ薄ク輪切ニシタルモノ、乾シ貯ヘテ炙リ食フ」(『言海』)。 |
はぎのもち(萩の餅)、女房詞でおはぎ(お萩)・萩の花というものは、ぼたんもち(牡丹餅)、通称ぼたもちというものと同一。「糯(モチ)米と粳(ウルチ)米と等量に合わせたのを水加減して普通の飯にたきあげ、すり鉢などで粗(アラ)つぶしするだけ」の餅に、半潰しの餡をまぶしたもの。「春秋の彼岸を中心に多く仏前に供え、家族が相伴(ショウバン)するとともに、近隣故旧へも配って親睦をはかった」。萩餅と牡丹餅については、「春から初夏にかけては牡丹餅、秋になって作るのを萩餅と称し、また見た目の感じから餡(アン)をつけたのが牡丹餅、黄粉(キナコ)をまぶしたのを萩餅とする説もあるが、ともかくも現在春秋を通じて同じに呼ばれている」。「もともと家庭の手づくりで」あったが、幕末近くには業者の商品として、漉し餡を用いたものや、それに煮た小豆を粒のまま散らしかけて萩餅と称したり、黄粉のかわりに胡麻を用いて「胡萩」を標榜するものなどがあった(『飲食事典』)。 |
くさもち(草餅)には、今日二様のものがある。
一は、蒸した糯米(モチゴメ)とヨモギとを搗き混ぜるもの。切餅・餡餅にし、
また雛祭りの菱餅(ヒシモチ)はこれである。
二は、白米粉をこねて蒸籠に蒸し、茹でて細かく刻んだヨモギを混ぜ、
臼で搗いたもの。餡コロ餅などを作る。
ヨモギはアクが強いので、少し灰汁を加えてゆで、かき回すのに鉄火箸を用いると色鮮やかに上がる。 (以上、本山荻舟『飲食事典』)。
餅草には今はヨモギを用いるが、古くはハハコグサを用いた。それぞれの項を見よ。
三月三日の節供に草餅を食う習慣については、ハハコグサを見よ。 |
こおりもち(氷餅)は、「餠ヲ方(カク)ニ切リ。寒夜ニ晒シテ凍ラシメタルモノ」(『言海』)、湯をかけ砂糖を加えて食う。信州諏訪では、これを砕いて荒い粉にしたものを氷餅粉と呼び、菓子の材料にする。東北では、雑穀粉をまぜた団子や草餅などをも凍結乾燥させて、しみもち(凍餅)と呼ぶ。(『飲食事典』) |
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『言海』に、「いひ(飯) (一)古ヘハ米ヲ蒸シタルモノ。 (二)後ニ、米ヲ水ニテ炊ギタルモノ。固粥(カタカユ)。メシ」と。
『同書』にまた、「めし(飯) 〔食物(メシモノ)ノ略ト云、御食(ミヲシ)ノ約轉カト、イカガ〕 飯(イヒ)、米穀ヲ炊ギタルモノ。「米ノめし」麥めし」栗ノめし」と。 |
『言海』に、「こはめし(強飯) 糯米(モチゴメ)ヲ蒸籠(セイロウ)ニテ蒸(フカ)シタルモノ、常ニ赤小豆(アズキ)ヲ交ヘ、赤クシテ、赤飯(セキハン)トイヒ、多ク祝儀ニ用ヰル、加ヘザルヲ白蒸(シロムシ)トイヒ、或ハ黑大豆ヲ加ヘテ佛供トス。強飯(ガウハン)」と。
『飲食事典』に、「こわめし(強飯) 弱飯(ヒメ)に対する剛飯の意で、糯米または糯に粳米をまぜて蒸し、赤小豆または黒豆を加えて色をつけたもの。・・・あるいは米のみで白蒸しにすることもある」と。 俗に「おこわ」という。 |
『言海』に、「ひめ(糒■{米扁に索}) 〔非米ノ音ニテ、非レ米非レ粥之義ト云〕 米ヲ煮テ水ノ多キモノ、トアリテ、卽チ、今俗、平常食フ所ノ飯(メシ)ノ類ナリト云、(古ヘ飯(イヒ)トイヘルハ、蒸シタル強飯ナリトゾ)」と。
『飲食事典』に、「上古は米を蒸熟したものを単にイイと呼び、・・・即ち原始時代の飯は今の強飯で、・・・」、「平安時代には・・・イヒは本式の儀礼用とな」り常食には「米食にヒメを使用した。このヒメは糒乳■{米扁に索}と書き、もと軟弱の意で、強飯に対する呼称であり、これが今用いられる普通の飯で、つまり強飯と粥との中間に位するため硬粥とも呼び、いま行われる粥は特に汁粥とも呼んだ」と。 |
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すいはん(水飯)・洗い飯・みずめし(水飯)は、水に浸した飯。
かていい(糅飯,かてめし)・かしきがては、雑穀・イモ類・野菜などを炊込んだ飯。かつ(糅つ)は、まぜる、まじえる。 |
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『言海』に、「かゆ(粥) 〔炊湯(カシユ)ノ約カト云〕 米ヲ煮(タ)キタルモノ。古ヘ固(カタ)かゆトイヘルハ、炊ギタルモノ、卽チ今ノ飯(メシ)ナリ。(飯(イヒ)ハ蒸セルナリ) 液(シル)かゆハ煮テ糜(トロ)ケシメタルモノ、或ハ、飯ヲ再ビ煮ルモアリ、病人ナドノ食トシ、今、かゆノ名ヲ專ラニス」と。
『同書』に、「おもゆ(重湯) 粥ノ甚ダ淡(ウス)キモノ。飯ノ煮汁。(病人ノ食ナド)」と。
なお、ななくさがゆ(七草粥)については、春の七草を見よ。 |
ちゃがゆ(茶粥)は、煎じた茶(煎茶または番茶)で、塩加減して煮る粥。もと、前日の残り茶・冷飯を、翌朝温めなおして利用した関西の習慣から生れたものという。 ちゃめし(茶飯)は、茶粥の発展したもので、本来は煎茶或は番茶で、塩加減して炊く飯。後に桜茶飯・桜飯が起ったが、これは醤油・酒を加えて普通に炊いた飯で、東京で広く行われている「茶飯」は実はこの桜飯である。
(本山荻舟『飲食事典』) |
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ちまき(粽・糉)は、「〔茅卷ノ意、古ヘハ、茅ノ葉ニテ卷ケリト云〕 糯米ヲ水ニ浸シタルモノ、又ハ、粳粉(コメノコ)ヲコネテ芋子ノ如クシタルモノヲ、菰(マコモ)又ハ笹(ササ)ノ葉ニ卷キ、煮テ熟セシメタルモノ、端午ノ時食トス」(『言海』)。なお、漢名の粽・糉(ソウ,zòng)はチマキ、和名の芋子(イモノコ)はサトイモの子いも。 |
ごへいもち(御幣餅・五平餅)は、南信濃の郷土料理。粳米の飯の冷えたものを擂鉢で搗きつぶし、扁平または楕円形に握り、串に刺して炙り焼き、胡桃醤油または胡麻味噌をつけて食う。名は御幣(幣束・ぬさ)の形に擬えて。
きりたんぽ(切蒲英)は、秋田の郷土料理、五平餅と同工異曲。飯を擂鉢で搗きつぶし、細竹に塗りつけ、炭火で焼く。名は突先にたんぽをつけた稽古槍の形に擬え、かつ適当な大きさに切って食うことから。鍋仕立てにして煮ながら食う。
(『飲食事典』) |
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ほしいい(乾飯・糒)・かれいい(乾飯)は、『言海』に「ほしひ(糒) 乾飯(ホシイヒ)ノ約、飯ヲ日ニ乾シタルモノ。今、特ニ、善ク精ゲタル糯米(モチゴメ)ヲ洗ヒテ炊ギ、乾シテ、粗ク磨リ碎キタルモノヲイフ、水ニ潤(ホト)ビサセテ食フ、貯ヘテ軍中又ハ夏月ノ用トス」と。
どうみょうじ(道明寺)・道明寺糒は、「糒(ホシヒ)ノ河州志紀郡ナル道明寺(尼寺)ヨリ製出スルモノノ稱、精製ナリトテ名アリ、現時、其村内ヨリ盛ニ産出ス」(『言海』)。
昔は貯蔵食・携行食・軍糧としたが、今はツバキ餅・桜餅・お萩などの材料とする。
『言海』に、「かて(糧) (一)行クニ齎ス糒(ホシヒ)ノ類。餉(カレヒ)」と。 |
おこし(糕)は、『言海』に「おこしこめ(興米) 糯米(モチゴメ)ヲ蒸シテ、乾シテ炒リタルモノ、乾菓子ノ種(タネ)トシ、水飴ト米ノ粉トニ和シテ、方、圓、種種ニ作ル。大ナルハいはおこしナドノ名アリ、又、粟ヲ炒リテ製スルヲ、あはおこしナドモイフ」と。
『飲食事典』に、あわおこし(粟おこし)は「おこし種の糯粟を飴または蜜でつなぎ固めて乾した菓子で、大阪の名物とされ、質が固いので岩おこしと訛(ナマ)り、また福おこしなどと名づけて、種々に工夫するうち、オコシ種も粟のみでなく、糯米・粳米・道明寺糒・餅あられ・落花生などを用いるようになり、東京の雷おこしには黒豆の入ったのもある。オコシ種は穀類を一旦蒸して乾燥し、焙炉(ホイロ)にかけて膨ませるので、炒(イ)り種ともいう」と。
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いりこ(炒粉)は、米粉を炒ったもの、菓子の材料。
いりだね(熬種)の種類には、糯米を蒸して糒(ホシイイ)としたものを丸種という(三月の節供の豆煎の種)。丸種を二つ割にしたものを岩種という(岩オコシの種)。岩種をさらに細かく砕いたものを荒粉種という(荒粉落雁の種)。荒粉種をさらに細かく砕いたものを真挽粉という(真挽落雁の種)。真挽をみじんに細かくしたものを微塵粉といい、微塵粉菓子に用いる」(『飲食事典』)。 |
いりがし(熬菓子)は、「精白した糯米を一夜水につけてやわらげ、水をきって乾燥し、ホウロクまたはホイロにかけて徐々にいると、形のまま膨張しあるいは花のようにはぜる。別に砂糖を煮とかしてこれに和し、かきまぜながらいりあげる。・・・これに黒白の炒大豆をまぜれば豆イリとな」る。「三月上巳の節供、または涅槃会の供物として多く家庭に作られる」(『飲食事典』)。 |
こがし(焦)は、米・大麦などを炒り焦して、碾いて粉にしたもの。京阪でははったいという。
『言海』に、「はつたい(糗麨)〔はたきノ音便訛、臼ニテ碎ケバイフナラム、或云、初田饗(ハツタアヘ)ノ約〕農家ニテ、米、麥ノ新穀ヲ焦シテ、粉ニシタルモノ、家家ヘ贈ル。麥ノはつたいハ、むぎこがしナリ」と、また「むぎこがし(麥焦) 大麥ヲ炒リ焦シテ、碾キテ粉トセルモノ、砂糖ヲ和シテ水ニ煉リて食ヒ、或ハ菓子種トモス、略シテ、コガシ。又、イリムギ。麥ノハツタイ」と。 |
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らくがん(落雁)は、「乾菓子の名、炒粉(イリコ)ニ砂糖ヲ加へ、模(カタ)ニ入レテ、種種ノ形象ニ作レルモノ」(『言海』)。「菓子種に砂糖と水飴を加えて型に詰め種々の形に造り焙炉で乾燥したもの。・・・白い上に黒胡麻の散ったのが雪の上に雁の落ち来る風情に似たとて「落雁」と名づけたのがはじまりといわれ、・・・『朱子談綺』には明朝に「軟落甘という菓子があり、その軟を略したのが始り」とあり、・・・」(『飲食事典』)。 |
『言海』に、「あられ(霰) ・・・(三)餅ヲ采目(サイノメ)ニ刻ミテ炒リタルモノ。 (四)細カキ糒(ホシヒ)ヲ炒リ焦シテ、湯ニ點ジテ飮ムモノ。 (五)みぢんこニ砂糖ヲ和(マ)ゼテ、捏(コネ)テ方形(カタ)ニ切リタルモノ」と。
『飲食事典』に、「あられ(霰) 餅に加工した菓子の一種で、すでに平安時代にアラレ餅・玉アラレと称した・・・『山名録』に「あられを■{米扁に孛}雹(ホツピユ)といひ、餅を剪(ハサ)み切り、乾して脯を作り鍋に燋(イ)るに、翻り膨るること雹や霰の如くなるが故になづけたり」とあり・・・」と。 |
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かんざらしこ(寒晒粉)・しらたまこ(白玉粉)は、糯米粉を寒水に晒したもの。別名観心寺粉、かつて河内観心寺で作られたことから。今日の主産地は新潟県。米粉中もっとも美味、団子・菓子の材料とする。
しらたま(白玉)は、白玉粉で作った団子。水で捏ね丸めて熱湯に入れ、浮き上がったものを冷水に放ち、砂糖を振りかける、などして食う。また汁物の具とし、卸和え(卸大根に三杯酢)にする。
ぎゅうひ(牛皮・求肥)は、白玉粉に水を混ぜて捏ね、濡れ布巾を敷いた蒸籠に入れて蒸し、臼で搗き、鍋に入れてとろ火で熱し、水を少々ずつ加えながら、更に白砂糖・水飴を加えて練り、小麦粉を敷いた箱に詰めて上からも小麦粉をかけ、そのまま冷し固めたもの。牛皮の名は、かつて黒糖を用いていたころ「製品の色も感触も牛の皮に似ているとての呼称であろう」、「牛肉食の忌避時代にその文字をはばかって「求肥」に改めたという」(『飲食事典』)。 |
ごかぼう(五家宝)は、糯米粉から作る菓子、武蔵熊谷の名物。初め上野邑楽郡五箇村で作られたことからこの名があるという。蒸した糯米粉に晒水飴を混ぜてつき、一分厚の板として日干しし、これを搗き砕いて篩にかけ、釜に入れて泡沫状に膨張させ、水飴と砂糖とで棒状に固めた上をまた水飴と白砂糖で包み、青黄粉をまぶしつけたもの(『飲食事典』)。 |
しんこ(糝粉)は、粳米の白米を日光に晒して挽いた粉。
湯水で捏ね、蒸して搗いて糝粉餅を作る。また、水で捏ね、蒸し、これを様々な形に手作りして色づけしたものを糝粉細工と言う。 |
越の雪は干菓子の名、越後長岡の名物。「上等の糝粉に白砂糖と水を加えてよくかきまぜ、金フルイで漉して押物の枠に入れ押蓋をして圧固めそのまま冷乾したもの」(『飲食事典』)。
ウイロウ(外郎)は蒸菓子の名、名古屋の名物。「粳米粉に少量の水をふりかけてかき回し、氷砂糖を砕いてまぜ、ばらばらにほぐしたのを毛篩にかけて五~六分のあつさになるまで、濡布巾をしいた浅い箱にふるいこみ、底板をはずして蒸籠にかけ、蒸上げてから適宜に切る」(『同上』)。昔
黒砂糖を用いていたころ、出来上がりの色合いが透頂香(トウチンコウ)と称せられた薬[一名外郎薬(ウイロウグスリ)]に似ていたことから、この名がある。 |
かしわもち(柏餅)は、『守貞漫稿』に、「米の粉を練りて圓形、扁平となし、二つ折となし、間に砂糖入赤豆餡を挾み、柏葉大なるは一枚を二つ折にしてこれを包み、小なるは二枚を以て包み蒸す、江戸にては砂糖入味噌をも餡に代え交ぜるなり、赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裏を出して標とす」と(本山荻舟『飲食事典』引)。
旧暦五月五日端午の節句に作られる節供餅は、嘗てはちまき(粽)であった。17c.頃から柏餅も用いられるようになり、もっぱら柏餅が用いられるようになったのは18c.からだという。
なお、西南日本にはカシワが少ないので、サルトリイバラの葉を代用することが多い。 (以上、本山荻舟『飲食事典』) |
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あめ(飴)は、 コメ・イモなどの澱粉を、麦芽などの酵素により糖化させた甘味料。
「あめ(飴)〔甘水(アマミ)ノ約轉カ〕 食物ノ名、もちごめヲ蒸シテ、熱氣アル中ニ、大麥ノもやしヲ入レ、熱湯ヲ加ヘテ搾リ、釜ニテ煉リ作ル。其甚ダユルキヲ水(ミヅ)あめ又汁(シル)あめト云フ。・・・再ビ煉リテ、油ヲツケテ、引キタタミシテ固クナセルヲ固(カタ)あめトイフ」(『言海』)。平安時代には酵素として米モヤシを用いたが、江戸時代から次第に麦モヤシをも用いるようになった。
糯米を用いた上質品は淡黄色透明で軽淡な甘みを持つ。そのまま嗜好品として食うほか、菓子の原料、料理の調味料、味噌・醤油の味つけなどに用いられる。
ちとせあめ(千歳飴)は、元禄(1688-1704)・寛永(1624-1644)頃、江戸浅草で創められた。 |
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こうじ(麴・麹)は、「コメ・ムギ・ダイズなどの穀類を蒸して適当の温度と湿度を保つ場所に置き、いわゆる麹カビを繁殖させたもの。このカビの分泌する酵素を利用して澱粉を糖化し、蛋白質などを可溶性の分解物にするので、酒・醤油・味噌・タマリ・濁酒・焼酎・味醂・白酒・酢・アルコールなどの醸造物をはじめ、甘酒・納豆・漬物・各種菓子類のほか消化剤・酵素剤の製造にも使用される」、「米麹の大半は清酒用に向けられ、・・・醤油麹は小麦・大豆を原料とし、タマリや三州味噌はもっぱら大豆麹でつくられる」(本山荻舟『飲食事典』)。 |
さけ(酒)・日本酒は、『言海』に、「さけ(酒) 〔榮(サカ)エノ約ニテ、醉ヘバ笑ミサカエ樂ム意ナリト云、或ハ、酒殿(サカドノ)ノ神ニ酒彌豆(サカミヅ)ノ號アリ、歸化ノ韓人、始メテ酒ヲ造レル者、酒看都(サカミヅ)氏ヲ號セシム、蓋シ、古ヘ酒ヲ佐加美豆トイヒ、卽チ榮水ノ義ニテ、後ニ水ヲ略セルナリトモ云、或云、さハ發語ニテ、けハ氣(ケ)又ハ酒(キ)ノ轉ト〕 古言、酒(キ)。異名、ササ。米ニテ醸シ作ル飮物。淸酒、濁酒アリ、淸酒ハ白米ヲ蒸シテ、麹ト水トヲ加ヘ、掻キマゼテ貯フルコト數日ナレバ、泡ヲ盛リ上ゲ、以上ヲもとトイフ、コレニ、日ヲ定メテ、又白米ノ蒸飯ト麹ト水トヲ加フルコト、前後三度ナリ、以上ヲそへトイフ、其間、常ニ掻キマゼテ熟セシメ、コレヲ槽(フネ)ニ盛リテ、搾レバ成ル、其手續、日限等、極メテ繁密ニシテ、其法モ種種ナリ。其他濁(ニゴリ)さけ、甘(アマ)さけ、古酒(コシュ)等、種種アリ」と。
『飲食事典』には、さけ(酒)は、「まず少量の酛(モト)(酒母ともいう)をつくり、次に蒸米と麹とを加えて醪(モロミ)をつくり、醱酵を待って圧搾し粕を去れば清酒ができるわけだが、酛の生成に約一週間~一か月を要し、さらに醪の生成に二十日~一か月を要する。酛は酒造上最も重大な作業」と。
なお、もと(酛)の漢名は、酴(ト,tú)。 |
どぶろく・にごりざけは、『言海』に、「どぶろく(濁醪) 〔酴醿醁ノ訛カト云〕濁酒ノ滓ヲ漉サヌモノ。モロミザケ」と、「にごりざけ(濁酒) 一種ノ釀造ノ酒ノ、糟ヲ漉サズシテ用ヰルモノ。(淸酒ニ對ス)ダクシユ。モロミ」と、「もろみ(諸味) 酒ヲ釀シテ漉サズ糟と共なるもの」と。
『飲食事典』に、「どぶろく(濁酒) 日本酒の醸造過程において、酒母に麹と蒸米と水を加えて醪(モロミ)を作り醗酵熟成させた白濁液。それを圧搾して粕を去ったものが清酒である」と。 |
さけかす(酒粕)は、『言海』に「かす(糟・粕) 〔酒滓ノ義〕酒ヲ釀シ、液(シル)ヲ漉シて殘レルモノ、粕漬ナド種種ノ用ヲナス。サカカス」と。
『飲食事典』に、「さけかす(酒粕) 清酒の搾り粕で酒精分を含み焼酎または粕酢製造の原料となり、・・・奈良漬・粕漬など鳥獣魚菜の漬物、また粕汁などの料理方面にも用途が広く、湯に溶かして砂糖を加えれば甘酒材料となり、餅網で焼いてそのまま食っても風味がある」と。 漢名は酒糟(シュソウ,jiŭzāo)。
かすづけ(粕漬)は、鳥獣魚菜を酒粕乃至味醂粕に漬けたもの。菜瓜類の粕漬けを特にならづけ(奈良漬)と呼ぶ。名は、古く酒の産地であった奈良に因む。 |
「酒店ニ、杉ノ葉ヲ束ネテ、大ナル珠ニ作リ、檐(ノキ)ニ繋ケテ、看板トスルモノ」(『言海』)をさかばやし(酒林)と呼ぶ。一名、酒望子(サカボウシ)〔サカバヤシはその音轉かともいう,『言海』〕。奈良三輪山の大神(オオミワ)神社の神杉にあやかったもの。 |
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蒸留酒とは、穀類・果実類を醸造して作った酒を、更に蒸留してアルコール濃度を高めた酒。ヨーロッパではウィスキー・ブランデー・コニャック・ジン・ウォッカなど、東アジアでは焼酎・コーリャン酒(火酒)など。
しょうちゅう(焼酎)は、蒸留酒の一種。酒粕から作るかすとり(粕取)焼酎と、醪(モロミ)を醗酵させて作るもろみどり(醪取)焼酎がある。使用する原料により、米焼酎・麦焼酎・芋焼酎・黒糖焼酎・蕎麦焼酎などがある。 |
みりん(味醂・美淋)は、蒸し米に麹と焼酎を加え、一~二ヵ月熟成して圧搾・濾過した酒。甘味が強いので、そのまま飲用し、白酒・屠蘇の原料とし、調味料とする。また焼酎と混ぜてなおし(直し)・柳かげと称し、夏の暑気払いとする。 |
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す(酢)は、米・果実などを酢酸発酵させた酸味調味料。
醸造酢には、米と麹から作るよねず(米酢)、清酒から作るさかず(酒酢)、酒粕から作るかすず(粕酢)などがある。米酢の産地は紀州粉河・備後尾道・周防・長門など、粕酢の産地は名古屋・半田・堺など。
用いるには他の調味料と併せることが多い。例えば「一旦煮立たせて少量の焼塩を加え、火から卸し冷ました煮返し酢、酢と醤油とを等量に合わせて煮冷ました合わせ酢、酢と醤油とを適宜に合わせた二杯酢、これに酒または味醂を加えた三杯酢、酢に砂糖を加えて煮冷ました甘酢、酢に酒と食塩を加えて煮冷ました七杯酢、ゆでたホウレンソウの葉先を擂潰して酢に溶き伸ばした青酢、ゆでた卵黄を擂潰して酢に溶き伸ばしたキミ酢、昆布を焼いて擂潰し酢に溶き伸ばした黒酢、蓼葉を擂潰して酢に溶き伸ばしタデ酢、酢を小茶碗に取って堅炭火を入れ沸騰させた焼酢など」がある(『飲食事典』)。 |
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『古事記』上に、須佐之男命(すさのおのみこと)に殺された大気津比売(おおげつひめ)の体から五穀が生じたという。すなわち「故(かれ)、殺さえし神の身に生(な)れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆生りき」と。
『日本書紀』神代第5段一書第11に、保食神(うけもちのかみ)に関わる、よく似た説話が載る。 すなわち「天照大神喜びて曰はく、「是の物は、顕見(うつし)しき蒼生(あをひとくさ)の、食(くら)ひて活くべきものなり」とのたまひて、乃ち粟稗麦豆を以ては、陸田種子(はたけつもの)とす。稲を以ては水田種子(たなつもの)とす」と。
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『日本書紀』24皇極天皇元年2月に、「丁丑に、熟稲(あからめるいね)始めて見ゆ」と。 |
古代には、イネを用いて城を作ったことがある。
『日本書紀』6垂仁天皇5年10月に、「忽(たちまち)に稲を積みて城(き)を作る。其れ堅くして破るべからず。此を稲城と謂ふ」と。雄略天皇14年4月に、「根使主(ねのおみ)、逃げ匿れて、日根に至りて、稲城を造りて待ち戦ふ」と。崇峻天皇即位前紀7月に、「大連(物部の守屋のおほむらじ)、親(みづか)ら子弟(やから)と奴軍(やっこいくさ)を率(ゐ)て、稲城を築(つ)きて戦ふ」と。
倉卒の間に築くものであり、稲穂か籾を積み上げたものであろうという。 |
『万葉集』には、イネ・稲作に関わる歌は44首ある。文藝譜を見よ。
いくつか例示する。
石上(いそのかみ) ふる(布留)の早稲田(わさだ)の 穂には出でず
心のうちに恋ふるこの頃 (9/1768,抜気大首)
恋ひつつも稲葉掻きわけ家居れば乏しくもあらず秋のゆう風
(10/2230,読人知らず)
吾が蒔ける早田の穂立ち造りたる蘰(かづら)そ見つつしの(偲)はせ吾が背
吾妹児が業(わざ)と造れる秋の田の早穂(わさほ)の蘰見れど飽かぬかも
(8/1624;1625,坂上大娘が「秋の稲の蘰」を大伴家持に贈る歌と、大伴家持が答える歌)
妹が家の門田を見むと打ち出来し情(こころ)もしるく照る月夜かも
(8/1596,大伴家持)
秋の田の穂の上に霧(き)らふ朝霞何処辺(いづへ)の方に我が恋ひ息(や)まむ
(2/88,磐姫皇后)
秋田刈る仮廬(かりほ)の宿のにほふまで咲ける秋芽子見れど飽かぬかも
(10/2100,読人知らず)
秋田刈る 仮廬を作り 吾が居れば 衣手寒く 露置きにける (10/2174,読人知らず)
(『新古今集』、秋田もるかり庵作りわがをれば衣手さむし露ぞ置きける、読人不知)
(『後選集・百人一首』、秋の田のかりほの庵のとまをあらみわがころもでは露にぬれつゝ
天智天皇)
秋田刈る仮廬も未だ壊(こぼ)たねば雁がね寒し霜も置きぬがに
(8/1556,忌部首黒麿)
たれ(誰)そこのや(屋)のと(戸)お(押)そぶるにふなみ(新嘗)に
わがせ(背)をや(遣)りていは(斎)ふこのと(戸)を (14/3461,読人知らず)
いね(稲)つ(舂)けばかか(皹)るあ(吾)がて(手)をこよひ(今夜)もか
との(殿)のわくご(若子)がと(取)りてなげ(嘆)かむ (14/3459,読人知らず)
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『八代集』に、
昨日こそ さなへとりしか いつのまに いなばそよぎて 秋風のふく
ほにもいでぬ 山田をもると 藤衣 いなばの露に ぬれぬ日はなし
かれる田に おふるひづちの ほにいでぬは 世を今更に 秋はてぬとか
秋の田の ほにこそ人を こひざらめ などか心に 忘しもせむ
あきの田の ほの上をてらす いなづまの ひかりのまにも 我やわするる
(以上、よみ人しらず、『古今集』)
山田もる 秋のかりいほに おく露は いなおほせどりの なみだなりけり
(壬生忠岑「これさだのみこの家の歌合のうた」、『古今集』)
ひとりして 物を思へば 秋の田の いなばのそよと いふ人のなき
(凡河内躬恒、『古今集』)
あらを田を あらすきかへし かへしても 人の心を 見てこそやまめ
(よみ人しらず)
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろやに 秋風ぞ吹く
(源常信、『金葉集』『百人一首』)
西行(1118-1190)『山家集』に、
苗代の 水を霞は たなびきて 打ち樋の上に かくるなりけり
たしろ(田代)みゆる いけのつつみ(堤)の かさ(嵩)そへて
たた(湛)ふる水や 春のよ(夜)のため
ますげ(真菅)お(生)ふる やまだにみづを まかすれば
うれしがほにも なくかはづ(蛙)哉
さみだれに をだ(小田)のさなへや いかならん
あぜのうきつち あらひこ(漉)されて
さみだれの ころにしなれば あらをだ(荒小田)に
人もまかせぬ みづ(水)たたひけり
五月雨は やまだのあぜの たき(瀧)まくら
かずをかさねて お(落)つるなりけり
つた(伝)ひくる うちひ(打樋)をたえず まかすれば
山田は水も おもはざりけり
いほ(庵)にもる 月の影こそ さびしけれ
やまだはひた(引板)の おとばかりして
なにとなく つゆぞこぼるゝ あきの田に ひた(引板)ひきならす 大原のさと
(寂然)
ひかりをば くもらぬ月ぞ みがきける
いなば(稲葉)にかゝる あさひこ(朝日子)のたま
夕露の たま(玉)しくをだ(小田)の いなむしろ
かぶすほずゑ(穂末)に 月ぞすみける
をやまだ(小山田)の いほ(庵)ちかくなく 鹿の音に
おどろかされて おどろかす哉
こはぎさく 山だのくろ(畔)の むしのねに
いほ(庵)も(守)る人や 袖ぬらすらん
うづら(鶉)ふす かりた(刈田)のひつじ(穭) お(生)ひいでて
ほのかにてらす みか(三日)月のかげ
『小倉百人一首』に
秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつゝ (天智天皇)
夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹く (大納言経信)
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芭蕉(1644-1694)の句に、
元日は田ごとの日こそ恋しけれ
風流の初やおくの田植うた
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
田一枚植て立去る柳かな
雨折々思ふ事なき早苗哉
田や麦や中にも夏のほととぎす
よの中は稲かる頃か草の庵 (「人に米をもらふて」)
稲雀茶の木畠や逃げどころ
かりかけしたづらのつるやさとの秋
稲こきの姥もめでたし菊の花
新わらの出そめて早き時雨哉
二番草取りも果さず穂に出て (去来,『猿蓑』1691)
(幸田露伴評釈に、「稲田の草を除くに、最初にするを一番草、それより二番草、三番草と云ひ、
四番草、五番草にも及ぶなるに、二番草を取るや摂らず穂の出たるとは、
陽気満足りて豊稔疑無きなり」と)
蕪村(1716-1783)の句に、
苗代や鞍馬の桜ちりにけり
よもすがら音なき雨や種俵
けふはとて娵(よめ)も出たつ田植哉
午の貝田うた音なく成にけり
見わたせば蒼生(あをひとぐさ)よ田植時
早乙女やつげのおぐしはさゝで来し
山々を低く覚ゆる青田かな
帰る雁田ごとの月の曇る夜に
水落て細脛高きかゞし哉
秋されや我身ひとつの鳴子引
早稲の香や聖とめたる長がもと
稲かれば小草(をぐさ)に秋の日のあたる
新米の坂田は早しもがみ河
升飲みの価は取らぬ新酒哉
落穂拾ひ日あたる方へあゆみ行(ゆく)
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赤楊(はんのき)の黄葉(きば)ひるがへる田中路、
稻搗(いなき)をとめが靜歌(しづうた)に黄(あめ)なる牛はかへりゆき、・・・
薄田泣菫「望郷の歌」(『白羊宮』1906)より
ふくらめる陸稲(をかぼ)ばたけに人はゐずあめなるや日のひかり澄みつつ
(1914,斉藤茂吉『あらたま』)
ゆふぐれの日に照らされし早稲の香をなつかしみつつくだる山路
(1921,斎藤茂吉『つゆじも』)
すがしくも胸門(むなと)ひらけばこの県(あがた)の稲の稔りを見て立つわれは
(1945,齋藤茂吉『小園』)
俵は ごろごろ
お蔵にどっさりこ
お米はざっくりこで
チュチュ鼠はにっこりこ
お星さまぴっかりこ
夜のお空で ぴっかりこ
(野口雨情「俵はごろごろ」1925)
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