だいず (大豆) 

学名  Glycine max (Phaseolus max) 
日本名  ダイズ 
科名(日本名)  マメ科
  日本語別名  マメ(末米)、オオマメ(於保末女)、クロマメ、エダマメ、アキマメ、アゼマメ、ミソマメ
漢名  大豆(タイトウ,dàdòu)
科名(漢名)  豆(トウ,dòu)科
  漢語別名  黃豆(コウトウ,huángdòu)、菽(シュク,shū)
英名  Soybean



 
  薬用
  食用
    中国
    日本
      枝豆 
      炒豆、黄粉 
      納豆味噌、 
      、豆乳、
      豆腐、 

2007/04/12 明治薬科大学薬草園

2004/06/08  新座市中野

2004/07/06 三芳町竹間沢 2006/06/22 小平市

 東アジアで栽培されている食用のマメ類については、まめを見よ。
 ダイズ属 Glycine(大豆 dàdòu 屬)には、旧世界の熱帯・温帯に約18種がある。

  G. clandestina(澎湖大豆)
 臺灣(澎湖島)・濠洲・南太平洋群島産 
  ナガミツルマメ G. dolichocarpa
1991年臺灣で発見 
  ミヤコジマツルマメ G. koidzumii 琉球産 絶滅危惧Ⅱ類(VU,環境省RedList2020)
         一説にボウコツルマメと同種 
  G. max
    ヒロハツルマメ nothosubsp. gracilis(G.gracilis;寛葉蔓豆)
         
ツルマメとダイズの自然雑種 遼寧・吉林・黑龍江産
    ホソバツルマメ subsp. formosana
 琉球・臺灣産 絶滅危惧IA類(CR,環境省RedList2020) 
    ダイズ subsp. max(G.max;大豆・黃豆・白豆)
    ツルマメ
(ノマメ) subsp. soja(G.soja, G.ussuriensis;野大豆・烏豆・野料豆)
         『中国雑草原色図鑑』101
      タチツルマメ var. okuharae
  ボウコツルマメ G. tabacina(G.clandestina;烟豆) 一説にミヤコジマツルマメと同種
         沖永良部島・琉球・臺灣(澎湖島)・福建・廣東・フィリピン・ミクロネシア・濠洲・フィジー産 
         
絶滅危惧IA類(CR,環境省RedList2020)
  ヒロハヤブマメ G. tomentella(短絨野大豆)
 臺灣・福建・廣東・パプアニューギニア・豪州産 
   
 マメ科 Leguminosae(Fabaceae;豆 dòu 科・荳科)については、マメ科を見よ。
 和名ダイズ(旧仮名使いではダイヅ)は、漢名大豆(タイトウ,dàdòu)の音。
 『本草和名』に、生大豆は「和名於保末女」、大豆黄巻は「和名末女乃毛也之」と。
 『延喜式』黒大豆に、「クロマメ」と。
 『倭名類聚抄』に、菽は「和名万米」、烏豆は「和名久呂末女」、■{燕扁に鳥}豆は「和名曾比末女」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』に、「大豆 マメ クロマメ カキマメ
豫州。同名アリ」、「黄大豆 マメ ダイヅ シロマメ ミソマメ」と。
 属名は、ギリシア語 glykys(甘い)から。
 英名は「醤油の豆」。
 大槻文彦『言海』・本山荻舟『飲食事典』などによれば、明治から昭和前期には次のような二次名があった。

  あおまめ(青豆) 丸豆で色は緑、大粒。別名、アオハダ・アオバタ・菓子大豆・キナコマメ。
          きなこ用・菓子用に重用。漢名は靑豆 qīngdòu)
  あきまめ(秋豆) 晩春・初夏に蒔いて秋に収穫。白豆で大粒、美味。
          枝豆・青豆飯・味噌に用いる。秋大豆。
  あぜまめ(畦豆) 水田の畦に栽培するもの。
  うずらまめ(鶉豆)・ちりめんまめ(縮緬豆) 褐色などの地に白または黒色の斑がある。
          
今日ではインゲンマメの一種にウズラマメがある
  えだまめ(枝豆) 未熟の豆を枝つきのまま茹でて用いることから。
          漢名は毛豆 máodòu・枝豆 zhīdòu
  がんくいまめ(雁喰豆) 黒色、粒に凹みがある。
「雁ノ喰ヒタル痕ナリト」(『言海』)。
  くらかけまめ(鞍懸豆) 白豆で黒斑がある。
「馬ニ鞍ヲ置きたる狀アリ」(『言海』)。
  くろまめ(黒豆) 丸豆で色は黒色。大粒のものは料理用・菓子用、小粒のものは薬用。
          漢名は黑豆 hēidòu
  ごいしまめ(碁石豆) 黒色、平たく大きい。
  さやまめ(莢豆) 未熟の豆を莢のまま茹でるのことから。
  しろまめ(白豆) 丸豆で白色帯黄。単にまめ・大豆(ダイヅ)とも呼ぶ。漢名は黃豆 huángdòu
  なつまめ(夏豆) 初夏に蒔いて晩夏・初秋に収穫、早生種。白豆で、小粒。
          枝豆・豆腐に用いる。夏大豆・豆腐豆。北海道に多い。
  平大豆  黑色に碁石豆・雁食(ガンクイ)豆、緑色に麝香豆、斑(フ)に鞍懸豆などがある。
          主として煮豆にする。
  丸大豆  黄・緑・黒・褐の色別があり
(日本には黄が多い)、大小・産地により種々区別する。
          味噌・醤油・豆腐・納豆などに用いる。
    
 ツルマメ(ノマメ)から作られた栽培植物。原産地は、遼寧・吉林・黑龍江からシベリアのアムール川流域(他説に華北・華中、または西南)。漢土ではB.C.3000ころから栽培されており、日本にも縄文時代には入っていた。
 ヨーロッパには18世紀、アメリカには19世紀に入り、広く栽培されるようになったのは20世紀。
 今日では、生産量の約半分はアメリカ合衆国、20%はブラジル、中国・アルゼンチンがそれぞれ10%を生産する。大部分は、食用・工業用の油糧とする。
 日本の主産地は北海道。ただし、消費量のほとんどはアメリカ合衆国からの輸入に頼っている。
 薬用には、成熟した種子を湿らせて、1cmほど発芽させて乾燥したものを大豆黃卷(ダイトウコウケン, dàdòu huángjuăn)・大豆巻と呼び、黒豆を一定の方法で発酵させたものを 淡豆豉(タントウシ,dàndòuchĭ。また豆豉・杜豆豉)と呼び、それぞれ薬用にする。『中薬志Ⅱ』pp.20-22 『(修訂) 中葯志』III/131-134 『全国中草葯匯編』下/42 
 漢土では(シュク,shū)は周代から現れ、五穀の一として主要な主食作物であった。
 菽は、戎菽とも記されるように外来のもので、中原に初めからあったものではない。戦国時代の菽は、おそらく遼寧・吉林・黑龍江地方原産のダイズであろうという。
 後に『周礼』鄭玄(127-200)註などには 大小の豆を区別しているので、このころからアズキ(小豆)が栽培され始めてダイズ(大豆)と区別されたと説かれる(ただし、たんに大きいマメと小さいマメを区別しただけだ、とする説もある)。
 なお、「大豆は菽、小豆は荅」ともあるので、それ以前の菽はダイズであったとされる。
   
 『詩経』国風・豳風「七月」に、「七月は葵(き。フユアオイ)と菽とを亨(に)る」と。
 『大戴礼』「夏小正」五月に、「菽の糜
(び。薄い粥)あり。〔以て経中に在り。又之を言ふ。時(こ)れ何ぞや。是れ食矩関にして之を記す。〕」と。
 『爾雅』釋草に、「戎叔(ジュウシュク,róngshū)、謂之荏菽(ジンシュク,rĕnshū)」と、郭璞注に「即胡豆(コトウ,húdòu)也」と。
 『礼記』「内則(だいそく)に、粉酏〔周禮天宮により粉餈(フンシ,fĕncí)に改む〕とある食い物は、黄粉餅(きなこもち)だという。
 日本では、『古事記』上に、須佐之男命(すさのおのみこと)に殺された大気津比売(おおげつひめ)の体から五穀が生じたという。すなわち「故(かれ)、殺さえし神の身に生(な)れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆生りき」と。
 『日本書紀』神代第5段一書第11に、保食神(うけもちのかみ)に関わる同様の説話が載る。
 完熟した豆を煮豆・炒豆として食い、加工して納豆・豆腐・味噌・醤油・湯葉・黄粉(きなこ)・豆乳などを作るほか、大豆油を搾る。
 未熟の豆を蔬菜として用い、煮たり炒めたり、すりつぶして調理したりするものは、枝豆(えだまめ)と呼ぶ。漢名は毛豆(モウトウ,máodòu)・枝豆(シトウ,zhīdòu)。
 宮崎安貞『農業全書』(1696)に、「五穀の類」の一として「大豆(まめ)」をあげ、
 「・・・二月蒔きて四月はや実るあり。是を梅豆(ばいづ)と云ふなり。煮て菓子によく、料理にめづらしき物なり。都の近く、又は城下など、凡て人多き大邑に遠からぬ所にてはよく作り、青豆にてうるべし。・・・」(岩波文庫本)と。
   
 陰暦九月十三夜を、一名豆名月と呼び、枝豆を供えて月見をした。(を供えることから栗名月とも)。
 座禅豆は、雁喰豆(或はダイズ)をゆでて、砂糖醤油で煮染めたもの。もとは僧が座禅の際に尿を止めるために食ったという。丹波篠山の名物。     
 いりまめ(炒豆・煎豆)は、ダイズ(またはソラマメ)を炒ったもの。間食・酒肴に供する。また、節分の鬼遣(おにやらい)[まめうち,まめまき]に用いて鬼打豆(おにうちまめ)と呼ぶ。  
 きなこ(黄粉)は、ダイズを炒って、碾いて粉にしたもの。砂糖を混ぜて餅や団子にまぶして食う。また広く菓子の材料として用いる。あおきなこは、青大豆から作ったもの。  
 あべかわもち(安倍川餅)は、「きり餅をやいて湯にひたし、軟かにしたところへ砂糖をまぜた黄粉(キナコ)をまぶしたもの。もと駿河国安倍川畔の茶店で売ったのが名物となり、江戸時代の参勤交代、また東海道上下の旅行者によって、各地に伝播普及されたのが通称となった」(本山荻舟『飲食事典』)。
 こうじ(麴・麹)は、「コメムギ・ダイズなどの穀類を蒸して適当の温度と湿度を保つ場所に置き、いわゆる麹カビを繁殖させたもの。このカビの分泌する酵素を利用して澱粉を糖化し、蛋白質などを可溶性の分解物にするので、酒・醤油・味噌・タマリ・濁酒・焼酎・味醂・白酒・酢・アルコールなどの醸造物をはじめ、甘酒・納豆・漬物・各種菓子類のほか消化剤・酵素剤の製造にも使用される」、「米麹の大半は清酒用に向けられ、・・・醤油麹は小麦・大豆を原料とし、タマリや三州味噌はもっぱら大豆麹でつくられる」(本山荻舟『飲食事典』)。  
 なっとう(納豆)は、ダイずを煮熟して作る食品、塩納豆と糸引納豆の二種類があり、関西で納豆といえば前者、東京では後者を言う。
 『言海』に、
  「なつとう(納豆) 〔寺納豆ニ起リ、納所ノ僧ノ豆ノ義カト云、イカガ〕
    (一)古製ナルハ、即チ、濱名納豆(ハマナナツトウ)。鹹豉
    (二)今、常ニ稱スルモノハ、白大豆を煮テ麹トシ、粘泥ヲ生ズルヲ伺ヒ、藁ニ包ミテ
       貯ヘテ成ル。マメナツトウ・イトヒキナツトウ。豆黃。」とある。  
 塩納豆(寺納豆・浜納豆)は、大豆を煮または蒸し、麹菌をまぶし、樽に移して塩水を加え、半年~一年間熟成させ、汁を抜き天日に干して成る。もとこれを豉(クキ)・鹽といい、納豆の語は13c.以降のもの。
 平安時代に南都東大寺で行われたほろみそ(法輪味噌)はこれに近く、今日の京の天龍寺納豆・大徳寺納豆・一休納豆、あるいは遠州三日市大福寺の浜名納豆(訛って浜納豆)はこれである。 
 漢語では、豆豉(dòuchĭ)豉(chĭ)。 
 糸引納豆(東京納豆・一夜納豆・苞納豆・藁納豆)は、水で膨らましたダイズを煮或は蒸し、冷まして藁苞に詰め、37℃ほどの窖(アナグラ)または麹室に入れて一昼夜発酵させ、特有の粘り気を生じさせたもの。伝統的な水戸納豆はこれ。今日では藁苞は用いず、培養した納豆菌をふりかけて作る。
 ひしお(醤)は、大豆と小麦で作った麹に塩を加え、約一年間熟成させたもの。これ以前にあった、大豆のみから作る豉(クキ)に対して、大豆と小麦を併用するもので、日本では七世紀に始まる。それ自体を食用・調味用にするほか、後の味噌・醬油の原体となった。
 みそ(味噌)は、大豆を蒸して砕き、塩を加え、麹で醗酵熟成したもの。食用にする嘗(ナメ)味噌、調味料とする普通味噌がある。
 嘗(ナメ)味噌には、径山寺(キンザンジ)味噌・鉄火味噌・柚子(ユズ)味噌・蕗(フキ)味噌などがある。
 普通味噌には、米麹を用いる米味噌(江戸味噌・仙台味噌・信州味噌など)、大麦麹を用いる麦味噌(田舎味噌など)、豆麹を用いる豆味噌(八丁味噌・三州味噌など)がある。
 『言海』「ミソ(味醬・味噌)に、「〔朝鮮語ニ、醬ヲ蜜祖(ミソ)トイフ、和名抄ニ、高麗醬ノ稱アリ、證トスベシ、同書ニ末醬ヲ未醬ト誤レリトノ説、或ハ、唐僧鑑眞、嘗メテ未曾有ト稱シタルニ起ルナドイフ、皆附會ナリ〕 (一) 味噌豆ヲ煮テ、搗キタダラカシ、麴ト鹽トニ和シテ、桶ニ藏シテ、日ヲ歴テ釀シ成スモノ・・・古ク、又、香(カウ)トモイヘリ、臭(カ)高ケレバナリ、「香の物」ナドイフ、コレナリ。・・・」と。
 本山荻舟『飲食事典』「みそ(味噌)」に略々、ミソの前身は豉(クキ)、今日の寺納豆である。753年に鑑真が齎したのは黒豉で、後に「あすかみそ」「ほろみそ」と呼ばれたものであった。「密祖(ミソ)」「高麗醤(コマビシオ)」と呼ばれたものは醤油との区別が判然としておらず、「平安時代以前には醤(ヒシオ)以前の意味で(未醬)と書かれたのが、後世、口へんを加え(味)とし、また(醤)の字を(曽)と改め、更に(噌)と転じた」、「みそを(香)というのは御所言葉で、『源氏香盡し』の中に「蜩(ヒグラシ)」というのが物に移って匂い深く、みその匂いが物に染みて味のよいのに擬したもので、現に関西地方でみそのことを(虫)または(おむし)というのもこの為である」と。  
 きんざんじみそ(径山寺味噌・金山寺味噌)は、浙江径山(キンザン)寺から伝えられたとされる味噌。「炒大豆と大麦の麹に食塩を加えて仕込んだ桶に、白瓜・茄子などの一夜塩圧したのを細かくきざんでまぜ、押蓋をして圧石をかけ、さらに麻の実・紫蘇・生姜のきざんだものを加え、密閉して八ヵ月~十ヵ月経過すると熟成する。・・・そのまま食用して美味」(本山荻舟『飲食事典』)。  
 『飲食事典』「こうのもの(香物)」に、「漬物の別称。香をたっとぶ意味から香の物とよびならわしたのは室町時代以降であるという。一説には、味噌のことを「香」といい味噌汁を香の水ともいって、香の物は大根の味噌漬にかぎったといい、ウリ・ナスなどは、足利義政の好事から味噌漬にしはじめたので、これは「類香」というともあるが、要するに女房詞で近世はすべての漬物を香の物とよぶようになった」とある。
 たれみそ(垂味噌)とは、「物ヲ煮ルニ用ヰル汁物ノ名、味噌一升ニ、水三升ヲ合セ、三升ニ煮ツメテ、袋ニ入レ、滴(タ)ラシメタルモノ、後世、醬油ノ製起リテ此法衰ヘタリ」(『言海』)。
 のちに転じて、焼物・煮物・鍋物の調味用の汁を「たれ(垂)」という。 
 しょうゆ(醤油)は、「しやうゆ(醬油) ・・・大麥ヲ搗キテ、炒リテ、碾(ヒ)キタルモノト、大豆ヲ煮タルモノトヲ合セテ、麴トシ、更ニ盬ヲ煮タル水ト和シテ、桶ニ入レ、數十日掻キマゼタルヲ醬油ノ諸味(モロミ)、又ハ醬油ノみトイフ、釀シテ數十月ノ後、コレヲ搾リ、汁ヲ煎煉シテ成ル」(『言海』)。  
 ご(呉)は、大豆を水につけてやわらげ、すりつぶした乳白色の濃液。
 「まめのご(豆油) 單ニご、延ベテごう、又まめのあぶら。黃大豆ヲ水ニ浸シ、石灰ヲ加ヘテ碾キ、生ニテ綿布ニテ搾レルモノ、豆腐ヲ凝ラスルニ用ヰ、又染物ノ止(トメ)トシ、或ハ油畫ノ彩料トス」(『言海』)。
 ごじる(呉汁)は、呉を加えた味噌汁。 
 呉を袋に入れて搾ったものを、とうにゅう(豆乳)という。
 豆乳は、「植物性蛋白質を多量に含み味もよいので、栄養食品として重用される」(本山荻舟『飲食事典』)。 
 呉から豆乳をとった残滓を、おから(御殻)・から(殻)・きらず・卯の花などと呼ぶ。漢名は雪花菜(セツカサイ,xuĕhuācài)。 
 ゆば(湯葉)は、豆乳を加熱すると液の表面に生ずる薄皮。京都・日光の名産品。蛋白質・脂肪に富む。
 『言海』に「うば(豆腐皮)〔豆腐ノ姥ノ略、皺あるに云〕豆腐ノ液ニ灰汁(アク)ヲ少シ入レテ煮レバ、上ニ皮ヲ生ズルヲ、徐ニ卷キ取リテ乾シタルモノ。・・・訛シテ、ユバ」と。    
 とうふ(豆腐)は、漢名は豆腐(トウフ,dòufū)、古名は菽乳(シュクジュ・シュクニュウ,shūrŭ)。
 豆乳に苦りを加え、袋・箱型に入れて凝固させたもの。凝固のさせ方により、木綿豆腐絹漉豆腐の別がある。
 また、豆乳に苦りを加えてから、型に入れて圧搾する前に汲みだしたものをおぼろどうふ(朧豆腐)くみどうふ(汲豆腐)という。  
 こおりどうふ(氷豆腐)・しみどうふ(凍豆腐)は、「豆腐ヲ切テ片トシ先ツ熱湯ヲカケ、寒夜ニ晒シテ凍ラシメ、後又日ニ乾シタルモノ」(『言海』)。 なお、こうやどうふ(高野豆腐)とはもと高野山より製し出した氷豆腐の言いだが、今日では主として関西で氷豆腐の別名となっている。
 あぶらあげ(油揚)は、「豆腐を適宜に切って水気を去り、食用油で揚げた物。揚油は本胡麻を最上とする」、「煮出汁・味醂・砂糖などでたっぷりと煮ふくめ、卸(オロシ)生姜をそえるとうまく・・・生姜醤油で附焼にし、卸大根で食べるのも簡単でうまい。そのほか野菜と煮あわせて野菜の味を増し、汁の実によく、和え物によく、五目飯にたきこんでもよい。野菜と煮あわせる場合には、あつめにきった生揚(ナマアゲ)がよく、稲荷酢・信田巻などには、とくに薄切にしてあげたのを用いる」(本山荻舟『飲食事典』)。 
 油揚げを用いた料理をしのだ(信田・信太)という。狐が油揚げを好むという俗説から、白狐が住んだという信太(シノダ)の森(大阪府和泉市)の名を借りたもの。信田寿司・信田饂飩・信田巻など。 
 がんもどき(雁擬)は、「豆腐を崩して水気を去り、ササガキのゴボウ、センギリのニンジン、キクラゲ、麻の実などを加え、適宜に丸めて油揚げにしたもの。京阪では飛龍子(ひりょうず)という」(本山荻舟『飲食事典』)。      
 
   田の畝の豆たつひ行蛍かな 
(万乎,『猿蓑』1691)
   
 
  納豆を餅
(もちひ)につけて食(を)すことをわれは楽しむ人にいはぬかも
     
(1934,斎藤茂吉『白桃』)
    



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